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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)4227号 判決 1961年10月19日

判  決

静岡県三島大場三〇〇番地

原告

伊豆箱根鉄道株式会社

右代表取締役

大場金太郎

右訴訟代理人弁護士

中村弥三次

中島忠三郎

工藤精二

遠藤和夫

丸山一夫

東京都渋谷区千駄谷五丁目八六二番地

被告

小田急電鉄株式会社

右代表取締役

安藤楢六

右訴訟代理人弁護士

箭柏卯行

根本好夫

右当事者間の昭和二九年(ワ)第四二二七号求償金請求事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

被告は原告に対し金一七八万一、一六二円及びこれに対する昭和二八年一二月一六日から右支払ずみまで年五分の金員を支払うべし。原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

本判決は原告勝訴の部分に限り原告において金五〇万円の担保を供するとは仮りに執行することができる。

被告において金一〇〇万円の担保を供するときは前項の仮執行を免れることができる。

事実

第一、当事者双方の申立

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金四四六万八四〇円六二銭及びこれに対する昭和二八年一二月一六日から右支払ずみまで、年五分の金員を支払うべし。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二、原告の請求原因

一、原告は地方鉄道法による電気鉄及び道路運送法とよる一般乗合旅客自動車等をもつて、旅客及び貨物の運送を業とする会社であり、被告もまた電車により旅客等の運送を営む会社である。

二、昭和二五年一二月二〇日午後六時三〇分ごろ原告の乗合自動車運転手江島秀雄が神奈川県小田原市小田原駅前から一般乗合旅客自動車(CM七〇五型、四九年式大型ディーゼル、以下本件バスという)に旅客四〇数名を乗せて出発し、小田原市久野に向う途中、同日午後六時四〇分ごろ同市井細田六七七番地先路上の被告の経営する小田原線足柄駅と終点小田原駅との中間に存する足柄二号踏切(通称久野川踏切。以下本件踏切という)にさしかかり、これを東から西へ横断しようとした際、被告の被用者である電車運転士伊丹三郎の運転する新原町田発小田原行下り電車(デハ第一二〇六号、同一三五七号、同一二五四号三両編成、以下本件電車という)と衝突し、右バスの乗客のうち七名が死亡し、三八名が重軽傷を負う事故(以下本件事故という)が発生した。

三、右事故は次にのべる諸原因によつて惹起されたものである。

(二)バス運転手江島の過失

江島は自転車運転手として本件踏切を横断するに際し、本件踏切の状況が後記のようであることにかんがみ、手前でいつたん停車のうえ車掌を下車せしめてバスを誘導させる等電車進行の有無を十分に確認したのちにバスを進行せしめ、もつて事故を未然に防止すべき注意義務があるにもかかわらず、かかを十分な確認措置を怠つたままバスを進行せしめたため本件事故の発生をみるにいたつたのであるから、この点において同人の過失が本件事故発生の一因であることは否定できない。

(二)電車運転士伊丹の過失

しかし本件事故の発生は、ひとり前記江島の過失のみに基づくものではなく、被告会社電車運転士伊丹にも過失がある。すなわち、本件踏切は、そこを東から西へ横断する者にとつて、その前方すなわち西方と向つて左方すなわち南方の見とおしは良好であるのに反し、向つて右方すなわち北方は電車軌道の東側に沿つて人家が立ち並び、さらに軌道東側に近接して防風用の常磐木が密植され、殊に下り線軌道中心より東へ七米、道路より北へ三米の地点には直経三〇糎、高さ二〇米余の椎の木が軌道及び道路にかぶさるように茂つていたため、踏切の下り線東側軌道より約三、五米手前の地点にいたるのでなければ北方足柄駅方面の見とおしは利かず、下り電車の側からみても、進行前方向つて左側の人車馬に対する見とおしは全然利かない状況にあり、さらに本件踏切には遮断機、警報機もしくは番人の設置もないのであるから、かかる場所を下り電車を運転して通過せんとする運転士は、通行人らに危害を加えるおそれのあることをおもんばかり、見とおし可能の限り間断なく進路前方を注視警戒し、しばしば警笛を吹鳴して通行人に注意を与えるとともに、その速力を調節し、何時にても停車し、もしくは何人にも十分な避譲の余裕を与え得べき最善の用意の下に運転し、もつて事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるといわなければならない。しかるに伊丹は、本件踏切にさしかかる際、警笛吹鳴の義務を怠つたばかりでなく、本件踏切より約二〇〇米の手前から時速四四粁を持したままなんら減速せずに本件踏切を通過せんとし、さらに前方注視義務をも怠つたため、バスをいち早く発見しえなかつたものである。すなわち、本件バスは久野街道を東から西へ時速一五・六粁(秒速四四四米)で進行していたところ、事故当時すでに薄暗く、バスの前照灯は、約一五〇米前方を照射していたから、本件踏切り衝突前三、四秒間右バスの前照灯によつて照射されており、もし伊丹が不断に前方を注視警戒しながら運転していたとすれば、右バスの前照灯による踏切電車軌道附近の照度並びに同軌道の側端にある樹木への反射等に徴して自動車の踏切への進入のおそれを相当遠方より察知することができたから、伊丹は直ちに臨機の処置をとることによつて事故を未然に防止しえたはずである。しかも伊丹は、バスが踏切を横断せんとするのをその約三〇米手前において発見しながら、突然の事態に幻惑され、非常警笛の吹鳴も忘却し、又非常制動の措置をもとらず、衝突後ようやくその措置をとつたに過ぎないものであるから、この点においても過失があるものといわなければならない。すなわち、時速四四粁で進行する電車の非常制動距離は、なんらの障碍物なき軌道上において七六六九米を出ないのであるが、本件電車の先頭車前輪は衝撃によつて脱線し、この脱線車輪は、久野川鉄橋の各枕木に衝突していちじるしい摩擦痕を残しており、さらに衝突後本件バス(総重量九六三〇瓩)を電車前頭に支えつつ二二、六三米空走しているのであるから、これら脱線抵抗、枕木抵抗、バスの重量抵抗を考慮に入れつつ、右の空走距離から判断すれば、伊丹は衝突前非常制努の措置をとらなかつたものといわざるをえない。

(三)被告の過失

(1)軌道電車による運送を営む者は、本件踏切のごとき危険性を有する踏切については、通行人の安全をはかるため警報機を設けるなど必要な保安設備を設置すべき義務があるにもかかわらず、被告がこれを設置しなかつたことも本件事故発生の大きな原因をなすものであり、したがつて被告もこれにつき過失の責をまぬがれない。すなわち、本件事故発生当時踏切保安設備については地方鉄道建設規程(大正八年八月一三日閣令第一一号)及び地方鉄道運転信号保安規程(大正八年八月一三日閣令第一二号)がこれを規定していたものであるが右地方鉄道建設規程第二一号第二項は「交通頻繁ニシテ展望不良ナル踏切道ニハ門扉其ノ他相当ノ保安設備ヲ為スベシ」と定め、又地方鉄道運転信号保安規程第六条は「交通頻繁ニシテ遠方ヨリ展望スルコト能ハザル踏切道ソノ他必要ナル踏切道ニハ列車運転中番人ヲ置キ之ヲ看守セシムヘシ但シ夜間交通稀ナル際ハ此ノ限ニ在ラス」と規定して、とりわけ「展望不良ナル踏切道」については相当の保安設備をなすことを要求していた。ところで本件踏切は、前記のように東から西へ横断する者にとつて下り電車に対する見とおしがわるく、一方電車運転士にとつても、進行前方左側から右踏切に進入する進行人に対する見とおしの利かない極度の展望不良な踏切であり、殊に夜間においては通行人とにとり足柄駅構内、同駅車庫等の照明灯と電車の前照灯との識別が困難で、電車の進行して来るのを見誤り易い状態にあり、他方本件踏切現場附近には専売公社工場、日加工業株式会社、富士フィルム製造株式会社工場、同社宅、三国製作所等があり、その通勤者及び貨物自動車をも合すると、かなり多数の交通量を数えうるのである。したがつて、本件踏切は、右規程の規定する「交通頻繁ニシテ展望不良ナル踏切道」に該当し、被告は保安設備を設置すべき義務があるといわなければならない。

(2)しかして右規程は、踏切道保安設備に関し最低限度の一応の標準を規定しているにすぎないから、仮りに本件踏切が前記規程に該当しないとしても、本件踏切のように見とおしがわるく、事故が頻発している特殊の事情のあるものについては、右規程の精神に照らし相当な保安設備をなすことが条理上要求せられ、又本件踏切の東方約三〇〇米の地点にある、小田急線と相並行する原告の大雄山線井細田踏切には久しく遮断機及び踏切番の施設を施しているのであるから、右踏切とほゞ交通量の等しい本件踏切にこれに相当する保安設備を設置することは慣習上当然要求せられるものというべきであり、被告が右踏切にかかる相当な保安設備を設置しないことは義務の懈怠といわなければならない。

(3)のみならず、本件事故当時は本件踏切には昭和一五年四月三〇日達第二九六号「踏切道の種別」にいわゆる第四種踏切に必要な設備すら施されていなかつたものであるから、被告はこの点においても過失があるものといわなければならない。すなわち、本件踏切には、「止れ、見よ、開け」という警標及び外人むけの斜十字型踏切標示板が東西両側に各一本立てられてあつたにすぎず、しかも右「止れ、見よ、開け」の警標のうち踏切の東側に立てられていたものは久野街道にそうて南むきに立てられていたから、同踏切を東から西へ横断せんとする通行人は、踏切の手前からはなんらこの警標文字を看取することができなかつたものである。

(四)被告の踏切軌道の設置保存のかしによる責任

仮りに電車運転士伊丹に過失がなく、又被告にも過失が認められないとしても、右(三)に述べた事情がある以上、本件踏切に保安設備が欠如していたことは、土地の工作物たる踏切軌道の設置又は保存についてのかしであるというべきであり、しかも右踏切に保安設置のなかつたことが本件事故の一因であることは明らかである。

四、以上の理由から、本件事故は原告の被用者たるバス運転手江島と、被告の被用者たる電車運転士伊丹が、ともに事業の執行につきなした共同の過失及び被告が本件踏切に保安設備を設置しなかつたことによる過失又は被告の踏切軌道の設置もしくは保存についてのかしに基因し、結局原告及び被告の共同不法行為であるから、原告及び被告は、本件バス乗客以下被害者というに与えた損害を連帯して賠償しなければならない。

五、ところで、原告は別紙事故関係費用一覧表記載のとおり、被害者らのこうむつた(1)人院費等治療費等金三九九万七、一八一円二四銭、(2)物品破損による損害等七万四二六〇円(3)精神的損害(慰藉料金)四八二万二四〇円合計金八九二円一、六八一円二四銭を賠償した。そして本件事故による原告と被告の責任程度は等しいから原告は被告に対し右の半額に相当する金四四六万八四〇円六二銭の求償権を有するところ、原告は被告に対し昭和二八年一二月一五日到達の内容証明郵便で、右金員の支払方を催告したから、ここに被告に対し右金員四四六万八四〇円六二銭及びこれに対する右催告の日の翌日である同月一六日から支払ずみまで年五分の遅延損害金の支払を求める。

第三、被告の答弁及び主張

一、(一)原告主張の第二の一及び二、第二の三のの事実は認める。

(二)第二の三の(二)のうち、本件踏切は、そこを東から西へ通行する者にとつて、西方と南方の見とおしは良好であること、右踏切の北方に下り線軌道東側に平行して人家並びに防風用の常磐木が植樹されていたこと、本件踏切に遮断機、自動警報機の設備のないことは認めるが、その余の事実は否認する。

(三)第二の三の(三)のうち本件事故発生当時、日加工業株式会社、専売公社工場、富士フィルム製造株式会社工場、同社宅が本件踏切附近に存在していたこと、右踏切の東西両側に「止れ、見よ、聞け」の警標及び斜十字型踏切標示板が各一本立てられていたことは認めるがその余の事実は否認する。

(四)第二の三の(四)の事実は否認する。

(五)第二の四のうち江島が原告の被用者であること、伊丹が被告の被用者であること、江島が原告の事業の執行中なした過失により本件事故が発生したことは認めるが、その余は否認する。

(六)第二の五の事実のうち原告主張の内容証明郵便が原告主張の日被告に到達したことは認めるが、その余は否認する。

二、被告の電車運転士伊丹に過失はない。まず、本件踏切附近の状況についてみるに、下り線軌道に平行して存在する人家は、現在の富士フィルム製造株式会社社宅で下り線軌道から約一五米の距離にあり、常磐木は下り線軌道中心から七米へだてて線路と平行して植樹され、その最高端の木は東方道路北端より三、五米の地点にあり、しかもその木は事故前技打されていて踏切の展望にはなんらの影響なく、当時は下り線軌道中心から五米東側の地点において北方約三〇〇米へだてた足柄駅ホームが望見できる状況にあつたから、本件踏切の北方の見とおしが悪いとはいい難い。

しかして伊丹は、本件電車を操縦して当日午後六時三八分三〇秒足柄駅を発車し、進路の前方を注視しながら南進し、同駅から約五〇米の地点に速度制限三〇粁の標識があるのを現認したため時速三〇粁以下に減速して約一〇〇米前進し、速度制限解除地点経過後は順次増速して、本件踏切の北方約一五〇米の地点を時速約四五粁で通過しながら踏切通過警笛を吹鳴し、進路の前方左右を注視しつつ前進した。ところが同踏切の北方約四〇米の地点にさしかかつた際、同踏切が少し明るくなつたことを認め、さらに一〇米進行した時、突如本件バスが同踏切を東から西へ向つて横断せんとするのを発見したので、直ちに非常警笛を吹鳴すると同時に非常制動の操作をしたが、バスの運転手はこれに介意せず一時停止もせずに漫然進行して来たため、電車と同踏切のほぼ中央部において衝突したものである。右の状況によつてみれば、伊丹には原告の主張するような過失ありということはできない。

(二)、本件踏切は、地方鉄道建設規程第二一条第二項、地方鉄道運転信号保安規程第六条にいう「交通頻繁ニシテ展望不良ナル踏切道」ではないから被告に警報機等保安設備設置の義務はなく、したがつて被告に過失はない。すなわち、事故当時地方鉄道の踏切道における保安設備については、前記規程があるのみで具体的な設置基準はなく、日本国有鉄道における基準を参考としていたものであるが、国鉄においても交通量何人以上のものに警報機の設置を要するかにつき具体的な基準はなく、昭和二七年一月にいたりはじめて踏切道設置基準を設けて列車回数一〇〇以上は展望五〇米以下の場合換算交通量一日二五〇〇以上四〇〇〇までは警報機を設けるべきこことしたのであり、地方鉄道においては、一日の換算交通量三七〇〇以上が警報機設置の一般的な基準とされていた。被告は右規程の趣旨にしたがい本件踏切の道路交通量、電車運転回数、踏切道の展望等の事情を調査した結果、事故当時一日の電車運転回数は一一四回であるが、一日の交通量実数は約九〇〇ないし一〇〇程度であること、見とおしの状況も前記のとおり展望五〇米をはるかに超えるものであつたから、すでに右基準によつても警報機設置の標準に達しないことは明らかで、又被告の足柄駅、同車庫には当時四〇ワットの電灯が数灯下向きに取り付けられていたが、電車の前照灯は二六〇ワットであつて、同駅を発車し、踏切に向つて前進して来る電車の前照灯と静止している四〇ワットの電灯との識別はきわめて容易であつて、その間誤認を生ずるおそれはなく、これらの事情からして被告は本件踏切には保安設備を要しないと判断したものである。原告は、原告の大雄山線井細田踏切と本件踏切を比車しているが、井細田踏切はいわゆる構内踏切であつて、井細井田駅の改札口は線路の西側にあり、市街地の東側にあるから、同駅の乗降客はいずれも井細田踏切を通過することとなり、又井細田踏切と本件踏切間における人家居住者の往復等の関係から交通量にへだたりがあるのは当然であり、両者は全く事情を異にするものであるから、右との比較から本件踏切に保安設備の設置を義務ずけることはない。

(三)本件踏切における保安設備の欠缺は、土地の工作物の設置又は保存のかしとはならない。すでに述べたとおり、本件踏切は、見とおし、電車運転回数、交通量等諸般の事情を総合すると、通行人が社会通念上要求される注意をもつてすれば、電車運行の確実性を保つと同時に通行人も、安心して通行できる機能を果しうる踏切道であるから、本件踏切には工作物としてのかしはないといわねばならない。

三、本件事故はもつぱら原告の自動車運転手江島の重大なる業務上の過失と原告の営業上の過失に基因するものである。

(一)自動車運転手は、保安設備のない踏切を通過する場合、必ずいつたん停車して前方及び左右両方を注視し、電車が通過するかどうかを確め、もつて危険を未然に防止するように努むべきことは、およそ自動車運転手として最も初歩的かつ基本的な業務上の注意義務であつて江島がこれを怠つたことはきわめて重大な過失であるといわなければならない。

(二)原告は、道路運送法により一定の路線を定め、定期に運行する一般乗合旅客自動車運送事業を営むものであるから、同法に準拠して免許を受けた道路でなければ通行することはできない筋合であるところ、原告は昭和二五年一二月二一日はじめて東京陸運局長から臨時経営路線として本件踏切を横断する久野街道通行の免許を得たのであるから、本件事故が発生した同月二〇日にはその許可がなかつたことは明らかである。すなわち原告がかような無免許道路をあえてバスの運行に供したということこそ本件事故の根本原因であるから、この点において原告の営業上の過失があるものといわなければならない。

四、抗弁

仮りに被告会社電車運転士伊丹に過失が認められるとしても、使用者たる被告は、同人の選任及び監督について相当の注意をしたから被告に責任はない。すなわち、伊丹は昭和一三年五月被告の車掌として採用されたものであるが、運転士を希望したので、乗務員教習所に入所せしめ、所定の学課、実務修習を経た後、昭和一八年二月同所を修了し、同時に運転士となつたものである。そして、被告の運転課長、乗務係長、電車区長はしば運転士に対し運転取扱心得等を厳守すること、特に危険防止のため適切な措置をとるよう訓示し、又実績を上げるため運転技術競技会、事故発見競技会、技術研究会を開催する外、随時考査制を設け、乗務係長等は随時無断で電車に乗車し、運転士の業務執行を考査し、その適正な者には乗務員優良カードを交付し、かつ賞金を与えて優良運転を督励し、運転士として電車操縦上義務違反のないよう監督している。しかして伊丹は、成績優良な運転士であつて、同人の業務上の過失により事故を起したことは一回もないのであるから、被告は伊丹の選任及び監督については相当な注意をなしているというべきである。

第四、被告の主張に対する原告の答弁

一、原告に被告主張のような道路運送法違反の事実のあることは否認する。

仮りにその事実があつたとしても、右は事故の発生となんら因果関係がないのみならず、原告は昭和二五年一二月一八日ごろ小田原市水道当局から原告の免許路線の一部に水道工事を行うため工事期間中車馬の通行を禁止する旨の通告を受けたので、小田原発登久野行バス路線を一時久野街道経由に変更するのやむなきにいたり、直ちに井細田警察署に届け出て了解を求めるとともに、神奈川県陸運事務所の内諾をえ、その後同事務所に対し、正規の一般乗合自動車運送事業臨時経営免許申請手続をし、免許をえたので、なんら非難さるべき理由はないのである。

二、被告がその電車運転士伊丹につき選任監督を怠らなかつたことは否認する。伊丹は、(1)昭和一九年ごろ小田急線大秦野駅附近で昼間四五才くらいの女を轢き、(2)昭和二三年五月ごろ同線参宮橋駅附近で夜間二四、五才の男を轢き、(3)昭和二四年四月ごろ同線喜多見駅附近で夕方五七、八才の女を轢き、(4)同年一〇月ごろ同線富永駅附近で夜間三〇才くらいの男を轢いていずれも死に致し、(5)昭和二五年一一月七日同線愛甲石田駅附近で五三才くらいの男に全治二週間の負傷を与え、(6)更に同年一二月二〇日本件事故を起しているものであつて、かように同人がしばしば交通事故を起している事実に徴すれば、同人が運転士としての注意力を欠如し、その適格を欠いていることは明らかである。しかるに被告は、その矯正教育を怠り、同人をして漫然その職に従事させ、又本件事故の数日前から原告のバスが本件踏切を臨時通過しているにもかかわらず、伊丹に対しなんら指示を与えていないのであるから、被告が伊丹の選任及び監督について相当の注意をなしたとはとうていいい難い。

第五、証拠関係(省略)

理由

一、原告が地方鉄道法による電気鉄道及び道路運送法による一般乗合旅客自動車等をもつて、旅客及び貨物の運送を業とする会社であり、被告もまた電車により旅客等の運送を営む会社であること、昭和二五年一二月二〇日午後六時三〇分ごろ、原告の乗合自動車運転手江島秀雄が、神奈川県小田原市小田原駅前から本件バスに旅客四〇数名を乗せて出発し、小田原市久野に向う途中、同日午後六時四〇分ごろ同市井細田六七七番地先路上の被告の経営する小田急線の本件踏切にさしかかり、これを東から西へ横断しようとした際、被告の被用者である電車運転士伊丹三郎の運転する新原町田発小田原行下り電車(本件電車)と衝突し、右バスの乗客のうち七名が死亡し、三八名が重軽傷を負うという事故(本件事故)が発生したこと、江島は本件踏切を横断するに際し、電車通過の有無を確認し、もつて事故を未然に防止するためいつたん停車のうえ車掌を下車せしめてバスを誘導させる等適切な措置をとるべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠つた点において同人の過失が認められることはいずれも当事者間に争いがない。

二、電車運転士伊丹の過失の有無

(一)  原告は、被告の電車運転士伊丹にも前方注視、警笛吹鳴、速力調節、非常警笛吹鳴の各注意義務を怠り、また、非常制動措置をとらなかつた点において過失があると主張するので以下判断する。まず本件踏切に遮断機はもちろん、自動警報機等の保安設備のないことは当事者間に争いがない。しかして、専用軌道を有する電車は、高速度で一定の軌道上を疾走し、かつ所定の発着時刻どおり正確に各駅間を運転しなければその社会的目的を十分に達することができないのであるから、本件のように保安設備のない踏切においても、危険防止上の注意の義務は原則としては電車運転士よりもより多く通行人の側に課せらるべきものと解しなければならない。すなわち一般に通行人は、踏切の横断に際し、まず電車通過の有無を確め、危験とみられる場合は軌道の外側で電車の進行を待ち、その通過し終るのを待つて軌道内に立ち入る等の措置をとるべきであり、その反面電車運転士に何時にても踏切手前において電車を停止せしめ、事故を未然に防止し得る程度に速力を調節すべき義務があるものということはできない。その意味では踏切が列車運行の確保と道路交通の安全との調整のために存するものでありなら、通常の道路の交叉点とは本質的に異なるものがあるというべきであるというべきである。しかし踏切通過にさいしては電車が必ず優先するものということはできず、電車運転士も。たえず前方を注視し、電車の進行に気付かず漫然踏切を横断する者がないかどうかを確認すべきであり、いらたんかような者を発見した場合や見とおしがわるくいつ横断者があらわれるかもわからない危険な踏切を通過する場合には、あらかじめ警笛を吹鳴し、通行人に警告を与える等の措置をとらねばならず、もし通行人と衝突の危険のおそれある具体的事情が発生した場合には、非常警笛の吹鳴によつて通行人に危急を知らせるとともに、直ちに踏切手前で停車を徐行せしめ、あるいは非常制動により急停車の措置をとる等、危険の発生を未然に防止すべき注意義務があることは事の性質上当然といわなければならない。そこで右の見地から、本件において、伊丹運転士に過失があつたかどうかを検討しよう。

(二)  まず本件踏切附近の状況をみるに、(証拠)を総合すると次の事実が認められる。すなわち本件踏切は、被告会社の経営する小田急小田原線足柄駅南方約三五〇米の地点にあり、南北に走る小田急上、下線と東方小田原市井細田から西方同市久野に適する巾員六、一米の通称久野街道とがほぼ直角に交叉し、本件踏切を形成しているもので、小田急線軌道は、足柄駅より南方約一、〇〇〇米の間直線コースであり、したがつて、踏切の下り線軌道上においては北方は足柄駅附近、南方は約六〇〇米先の地点まで望見できること、久野街道の南側にそつて久野川が流れ、久野川以南及び右踏切の北西側は一面の水田であるから、右踏切を東から西へ通過する者にとつて、西方及び南方の見とおしは良好であること(右西方及び南方の見とおしが良好であることは当事者間に争いがない)、他方右踏切以北の、小田急線下り線軌道中心(以下起点という)より七米へだてた東側に、線路に平行して北方約一六〇米の間富士フィルム製造株式会社所有の椎、檜等の常磐木が四八本植えられ、(右軌道の東側に平行して常磐木があることは、当事者間に争いがない。)右樹枝は重なり合つて防風林を形成し、その中には、地上一米にして直径約一五糎、樹高約七米に及ぶものもあり、又右並木よりさらに一、五米へだてた東側には、並木に沿つて約一六〇米の間高さ約一米の竹垣を設けて宅地を囲い、その竹垣の内側南部約七〇米の間は空地であるが、中に直径一〇糎位の常磐木や落葉樹を植え込んでおり、この空地の東側には、木造平家建家屋六棟を一列とする二並びの富士フィルム製造株式会社の社宅が存在し (右人家の存在する事実も当事者間に争いがない)、前記竹垣のうち前記空地の北方的九〇米の間は、竹垣の内側に平家建家屋六棟を一列とする二並びの建物がある外、二階建家屋二棟等が存在するため、久野街道を東から西へ通行する人は、踏切に接近しなければ北方の軌道を見とおすことができず、踏切近くに、あつて最も見とおしの障害となつていた最南端の高さ六、七米の常磐木は、道路北端に建ててある踏切注意標から約三米北にあつて、一米余の枝を周囲に張り出しており、これらの立木等の障害なしに見とおしうるのは前記起点より東方一〇米の位置で、線路上は踏切中央部から北方一五米までの地点であり、起点より東方約五米の地点において、ようやく北方足柄駅車庫及び足柄駅下り線ホームの先端までの軌道を見とおすことができたこと、したがつてバスの先端部より運転手の座席位置までは約二米あるから、バスの運転手が下り電車の通過を警戒するには起点の東側約三米の地点までバスを接近させねばならず、軌道の巾員とこれよりはみ出す電車の巾を考えるとバスの先端と電車との距離はきわめて近いものとならざるを得ない状況にあること、一方下り電車の運転士も、東から西へわたる車馬、通行人を発見するには、それが起点の東側約五米以内まで接近しない振りこれをなしえないことを認めることができる。右事実によつて考えれば、本件踏切は、起点外側五米からの見とおしにおいて欠けるところはないとの点で後記保安設備の要否を決する基準にいう意味での見とおし距離は必ずしも小なりといい得ないが、下りの電車の運転士にとつて、踏切の側で佇立している者はかくべつ踏切を東から西へわたろうとして街道上これに接近する馬車、通行人を早くから発見することは困難で、又右通行人らからも下り電車の進行をあらかじめ望見することができない状態にあり、電車と通行人の相対的関係からすれば、通行人は必ず踏切直前で一時停止する等の措置をとつて電車通過の有無を十分確認するという前提に立たない限り、電車の接近に気付かぬ通行人がいつ踏切内に進入するかも知れず、その意味では踏切からの軌道見とおしが悪いものとなんら択ぶところはなく、従つてたえず衝突の可能性をもつかなり危険な踏切であるといわなければならない。(中略)他に右認定を左右するに足る証拠はない。(中略)

(三)  一方江島のバス運転状況をみるに、(証拠)を合わせると、江島は当時原告経営の小田原箱根線バスに乗務していたか、昭和二五年一二月二〇日午後六時三〇分頃、原告の久野線定期バス故障のため急遽命を受け、臨時に小田原駅前から本件バスに乗客四〇数名をのせ、小田原市久野に向つたのであるが、本件踏切の手前約三〇〇米にある原告の経営する大雄山線電鉄井細田踏切までは時速二五ないし三〇粁、その後本件踏切の手前約五〇米までは時速約一五粁で進行し、そこで変速機をトップからサードに変えて時速約一〇粁におとし、更に二〇米手前あたりから時速約五粁で踏切に接近したが、踏切附近はゆるやかな上り勾配になつているので速度はやや減少したものの踏切直前で一時停止することなく、車掌の「左オーライ」の声を聞きつつ、右側を一ぺつしたのみで下り電車の近接する危険なしと速断し、そのまま踏切に乗り入れたとたん、車内後方の悲鳴を聞いて右方をみると電車の進行し来るのを発見したので急ぎアクセル一ぱいに踏んで逃げ切ろうとしたが及ばず踏切中央部附近でバス後部を電車正面に衝突せしめ、本件事故を惹起した事実が認められる。(中略)他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(四) ところで、本件のように前記の意味で見とおしのわるい踏切を通過する場合、下り電車の運転士は、前述のように、その前方相当の地点から踏切通過警笛を吹鳴して進行人の注意を換起するとともに、危険発生のおそれある緊急の場合には、直ちに非常警笛を吹鳴し、事故を未然に防止すべき注意義務があると解すべきところ、原告は、伊丹は右義務を怠り踏切通過警笛も非常警笛も吹鳴しなかつたと主張するに対し、被告はこれを争い、伊丹は本件踏切の北方約一五〇米の地点で踏切通過警笛を、同じく約三〇米の点で非常警笛を吹鳴したと主張する。しかし証拠をみるに、(中略)の各記載及び(中略)の各証言中には原告の右主張にそうような部分が存し、これに対して(中略)の各記載及び(中略)の証言には被告の主張にその部分があり、両者はまつたく対立してはいるが、原告の主張に有利な上掲各証拠は、次の理由から原告の右主張事実を肯認する資料とはなし難い。すなわち、

(1)  (中略)は、いずれも本件バスに乗車していた者の供述書ないしは証言であり、これらの者はいずれも本件踏切にさしかかる前から本件衝突に至るまでの間電車の警笛を聞かなかつた旨を述べているが、前記江島のバス運転速度から計算すると、本件バスは踏切の東側五〇米から二〇米の地点までを約一〇、七秒、右二〇米の地点から踏切直前までを約一四、二秒で通過したと推定され、他方前掲乙第一号証によれば、伊丹は足柄駅南方五〇米の地点から一〇〇米の区間は速度制限にしたがい、時速三〇粁で進行し、右解除地点通過後は時速約四四粁で進行したことが認められるところ、被告主張の前記警笛吹鳴の事実が仮りにそのとおりだとすれば、電車は衝突する約一四、五秒前から警笛を吹鳴した筋合であるから、その時のバスの位置は、前記バスの進行時間から判断し、少くとも踏切東側五〇米の地点より踏切に接近した地点であることが推測される。しかして(中略)によれば、本件バスは入口の扉及び窓を閉じて連行していたものであることが認められるところ、鑑定人(省略)の鑑定の結果によれば、本件バスと同条件のバスを踏切に向つて進行させ、一方電車を踏切中央部より北方一八一、四米、五九、二米、二五米の各点に停車させて警笛を吹鳴した場合、バス車内に在る者には、電車が右二五米の地点において警笛を吹鳴し、かつバスが踏切手前五米の位置に停車している時はじめて辛じて警笛を聴取でき、バスが踏切手前五〇米の間をアクセルペタルから足を離して走行している間には辛じて聴取できる場合もあるが、その他の場合はほとんど又は全く聴取できないこと、(証拠)によれば、本件バスと同型式のバスを踏切より約二〇米手前から踏切に向つて進行し、電車を踏切中央部から北方一五〇米の地点に停車し、警笛を吹鳴させ聴取試験を行つたか、自動車の騒音のため聴取不能であつたこと、検証(第一回)の結果によれば、電車を踏切の中央部から北方七五米の地点に停車させ、本件バスと同一型式の実験用バスを、踏切東方手前約一〇〇米の地点から五米まで進行させて警笛聴取試験を行つたが聴取不能であつたこと、電車を向三〇米の地点に停車させ、かつバスを踏切手前五米の地点にエンジンをかけたまま停車した場合に、運転台においてはじめてかすかに、後部座席においてはそれよりもやや明瞭に聴取しえたとの各事実を認めることができる。右はいずれも警笛が鳴つていることを予想しながら実験している場合であるから、これを意識していない場合は、なおさらその認知が困難というべきであり、更に前認定のように、本件バスが踏切直前で一旦停車した事実は認められないのであるから、本件バスの運転手、車掌、乗客が電車の踏切通過警笛、非常警笛を聴取しうる状況にあつたかどうかはすこぶる疑わしく、これらの人々が警笛に気づかなかつたとしても、右事実から直ちに警笛の吹鳴がなかつたと断定することは困難というべきである。

(2)  (中略)は、本件事故発生当時本件バスの後方を走つていた貨物自動車の運転手牧島芳治の供述調書で、これにも電車の警笛吹鳴を聞かなかつた旨の供述部分があるが、(中略)の記載によれば右貨物自動車もまた運転台の窓をしめていたことがうかがわれるから右証拠も前記(1)と同様の理由でとつてもつて警笛吹笛の事実を否定する証拠とはなし難い。

(3)  (中略)は本件電車の一輛目に同乗していた者の供述調書及び証言であるが、右各証拠によれば、同人らは談笑をかわしたり、乗車箇所を移動したり、又本件バスの出現、衝突に気を奪われたりしていた状況が認められるから、警笛の吹鳴に気附くような注意状態にあつたかどうかは疑わしく、又(証拠)は本件事故の直前久野街道を本件踏切に向つて歩行中の者の供述調書であるが、これらの歩行者はあるいは自己の横を通りすぎるバスやその後から来るトラックに関心を奪われている状態にあり、あるいはすでに本件踏切を通りすぎて電車の警笛には格別の関心を抱かない状態にあつたものであることが右各供述調書自体の他の部分からうかゞわたるのであるから、これらの者が電車の警笛吹鳴を聞いた覚えがない旨の供述ないしは証言に大きな証拠価値を認めることはできないし、さらに(中略)はいずれも本件踏切の近隣に住む青木大光の供述であつて、検証(第一回)の結集によれば、右青木宅は雨戸を締め切つておいても、下り電車の警笛を聴取しうる事実が認められ、同人の証言にはやや信慂力のみるべきものがあるようにも考えられるけれども、常に電車の通過を聞きなれている同人としては本件の場合に限つて電車の通過や警笛を特に注意していたような状況のみるべきものがない以上、仮りに警笛を聞いたとしても、その印象や記憶に残りにくいことはみやすいところであるから、これ又特に大きな証拠価値を有するものとはいい難く、結局これらの各証拠は対象の支持する前掲各証拠と対比して考えるときは、よつてもつて原告の主張事実を肯認するに足るほどの証拠価値を有するものとはいい難く、他にこれを認めしめる証拠はない。

(4)  のみならず、仮に伊丹に、原告主張のような警笛吹鳴義務懈怠の過失があつたとしても、前記江島バス運転の状況に照らせば、同人は警笛の吹鳴を認知することがきわめて困難、いなむしろ不可能な状態にあつたこと上記のとおりであるから、たとえ伊丹が警笛を吹鳴したとしても本件衝突は避けることができなかつたものといわざるをえず、結局伊丹の右過失と本件事故との間には因果関係の存在を認めることができないのである。以上いずれの点よりするも、原告の上記主張は理由がない。

(五) 次に原告は、伊丹は速力調節義務を怠つたと主張する。しかし前記のとおり専用軌道を走る電車運転士は、衝突の危険のおそれある具体的事情が発生しない限り、踏切通過のたび毎にいつにても停車しうる程度に除行する等の速力調節義務はないから、後記のようにかかる特別の事情の存在を認めしめるなんらの証拠の見出されない本件においては、伊丹が本件踏切を時速四四粁のまま通過しようとしたとしてもこれをもつて直ちに同人に過失があるということはできない。よつて原告の右主張も理由がない。

(六) 原告は伊丹は前方注視義務を怠つたため本件バスの発見が遅れた旨主張する。前認定のように下り電車の運転士は立木等にさまたげられるため、自動車が本件踏切の東方約五米以内まで接近しない限り、それを発見することが困難であるところ、前掲(中略)によれば、伊丹は電車が踏切中央部より北方約四〇米の地点で右踏切が自動車の前照灯によりややうす明るく照射されたことを認め、次の瞬間すなわち約三〇米の地点で、本件バスが踏切の東方の樹木の蔭からあらわれ踏切に向つて進行する気配を示したのを認めたこと、(証拠)によれば、本件電車の最前部に乗車していた斎藤寅三は、電車が踏切中央部より北方約二五ないし三〇米の地点で、岩瀬隆英、可児隆幸は同約二〇ないし三〇米の地点で、それぞれバスを発見したことが認められるから、本件バスが踏切の東方約四、五米に到達した時にはすでに本件電車は踏切中央部の北方約三〇米附近に接近していたものと推認される。原告は本件バスの前照灯による本件踏切附近の照度及び電車軌道附近の樹木の反射等により相当遠方から自動車の本件踏切への進入の危険を察知しえた筈であると主張し、検証(第一回)の結果によれば月令十日六分、晴天、日没後約四〇分の本件事故発生当時とほぼ同一の条件の下において本件踏切の中心から六〇米北方の地点において電車の前照灯をつけたままバスを踏切方面へ進行させた場合右六〇米の地点の電車内においてバスが、本件踏切の手前五米の地点に達する以前から本件踏切附近およびその西方道路上にある桜樹にバスの前照灯の照射を認知しうる状態にあることが認められないではない。しかし当時伊丹の運転する本件電車の進行速度が、時速四四粁秒速一二、二米であることを考えると、右伊丹が本件踏切の中心から北方四〇米の地点にいたるまで本件踏切附近がうす明るくなつてくることに気づかなかつたことをもつて取り立てて前方注視義務の違反ありとなすことは妥当を欠くのみならず、仮にそれ以前にこれに気づき、これによつて自動車の本件踏切への接近を察知したとしてもこの段階ではバスはまだ踏切内に進入する必至の状態にあるものということはできず、(証拠)によれば、本件踏切を東から西へ通過する自動車の運転手もまた自動車が踏切五米手前に到達する以前から、電車の前照灯の照射によつて下り電車の進行を察知しうる状況にあることが認められるのであるから、電車運転士としては、特段の事情のない限り、右自動車の運転手が上記状況や警笛の吹鳴により当然電車の進行を察知するであろうし、そうでなくとも自動車を運転するほどの者なら当然踏切手前において電車通過の有無を確認し、衝突回避のため適切な措置をとり、そのまま踏切内に進入して来るようなことはないであろうと期待するのがふつうであり、またそう考えるのも決して不当ではないから右の段階において直ちに自動車の踏切への侵入の危険を察知し、あらかじめ衝突回避のための減速、急停車等の措置をとらなければならないというのは、電車運転士に対して難を強いるものといわなければならない。要するに以上の諸点から考えると本件電車が踏切中央部北方約三〇米に接近し、本件バスの姿とその現実の動きを目撃しうるようになる前から、伊丹が本件バスの踏切進入のおそれを察知することは困難であつたというべきであるから、右地点以前において、同人がなんら非常措置をとらなかつたからといつて同人に前方注視義務違反の過失があつたということはできない。よつて原告の右主張も理由がない。

(七) 次に原告は、伊丹は衝突前に非常制動の操作をとらなかつた過失がある旨主張する。前掲(中略)には原告の右主張にそうような部分も存するが、(中略)によれば、当時電車に乗つていた、奥平衣子は、衝突するまでショックを感じなかつたことから、右供述がなされた事実が認められ、又中略によれば、可児隆幸、岩瀬隆英も運転台とは反対の電車の進行方向に向つて右側の隅に立つていたことが認められ、両名とも電車運転士の運転状況を注視していた状況はうかがわれないから、右(中略)も衝突するまでショックを感じなかつたところから、非常制動をかけなかつた、もしくはそれに気づかなかつたと述べたものではないかと推認される。しかしながら(中略)の鑑定の結果によれば電車が非常制動をとつた場合、乗客はその瞬間にはショックを感ぜず、停止の瞬間にはじめてこれを感得することが認められるから、本件電車の乗客は、衝突時まで非常制動操作によるショックを感得しない筋合であり、前記各証拠は、とつてもつて、原告の主張を肯認するに足る的確な証拠とはいい難い。かえつて、(中略)により認めうる、停止時において、本件電車のハンドルの位置は右端にあること、圧力計の指計は零を指していること、ブロックは車輪に密着していることの各事実に徴すれば伊丹によつて非常制動の操作がなされた事実を肯認するに十分であり、さらに前掲(中略)によれば、電車の停止位置と電車三輛の最前部から最後部までの長さ(五一、五米)から本件電車は踏切中央部より南方約五〇、五米の地点で停止したものと認められるところ、(中略)の鑑定の結果によれば、本件電車と同型式の電車の踏切の北方二五米の地点における制動初速が時速四五粁である場合、非常制動距離は七六、二米でありバスとの衝突、バスの抵抗、電車の一輛脱線等を考慮し、いくつかの仮定を設けて計算すると、衝突後停止すでまでの走行距離は四五、六米、したがつて非常制動距離は七〇、六米となる事実が認められる。以上認定の諸点に前掲(中略)を合わせると、伊丹は事故発生の危険を感ずるや直ちに非常制動を操作したもので、その位置は踏切中央部北方二〇ないし二五米の地点と推認されるから、この点においても同人になんらの過失はないといわなければならない。

三、被告の過失の有無

(一)  原告は、被告は交通事業の経営者として、本件踏切に警報機を設けるなど、通行人の安全をはかるに必要な保安設備を設置すべき義務があるにも拘らず、これを設置しなかつたため本件事故の発生をみたのであるから、右は被告の過失に基くものであると主張する。

本件踏切に遮断機、自動警報機等の保安設備のないことは前記のとおり当事者間に争いがなく、地方鉄道建設規程第二一条によれば、「交通頻繁ニシテ展望不良ナル踏切ニハ門扉其他相当ノ保安設備ヲナス」べき旨規定せられているから、本件踏切が右規定に該当するとすれば、被告は、保安設備設置の義務を負い、これを怠つたときはいちおう過失の責あるものというべきである。よつて本件踏切が「交通頻繁ニシテ展望不良ナル踏切道」であるか否かについて判断するに、まず本件踏切の交通量については、(証拠)を合わせると、本件踏切の換算交通量(歩行者一、自転車一、五、牛馬、牛馬車、荷車五、軽自動車七、小型大型自動車一二の割合で換算)は、昭和二六年一月一三、一四、一六日の三日間の平均が一九六四であること、昭和二七年度において三、四三八であること、昭和二九年一一月一二日、一五日、一六日、昭和三〇年一月一七日の平均は三、一一四であることが認められるから、本件事故当事の換算交通量は約二〇〇〇前後と推定するのが相当であり、又(中略)の証言によれば、事故当時の電車通過回数は、一一四回であつた事実が認められる。次に本件踏切の見とおしについては前認定のとおり本件踏切の東から西へわたる通行人から北方に対する見とおしは、下り線軌道中心から約五米の地点で、ようやく下り電車の進行を見きわめることができ、その見とおし距離は五〇米以上であるが、下り電車から前記通行人の発見も、通行人が下り線軌道中心から東方四ないし五米の地点に接近するまでは、これをなしえない状況にある。

ところで、(証拠)に本件口頭弁論の全趣旨を合わせると、本件事故発生当時前記地方鉄道建設規程のほかに、電車運転回数、交通量、見とおし距離の関係を具体化し踏切道の保安設備設置基準を定めたものはなく、私鉄各社は独自に具体的な設置基準を定めて保安設備の要否を検討していたもので、被告は電車運転回数一三〇回、換算交通量三七〇〇(但し歩行者一、自転車二、牛馬、荷車三、牛馬車五、自動車七とする換算率)のところにおおむね警報機を設置し、本件踏切は右に該当しないと判断していたこと、国鉄でも昭和二七年六月一八日ようやく「踏切道の整備について」と題する通達により、列車回数一〇〇回以上で、見とおし距離一〇〇米をこえるものについては換算交通量二五〇〇(以上但し歩行者一、自転車二、荷車、牛馬車三、小型自動車((オート三輪を含む))一〇、自動車三〇)の個所に踏切保安設備を設置すべく定めたこと、その後昭和二九年四月二七日運輸省鉄道監督局長からの陸運局長宛鉄監第三八四号「地方鉄道及び専用鉄道の踏切道保安設備設置標準について」と題する通達は、昭和二五年から昭和二七年までの三カ年における踏切事故の実績と昭和二七年及び昭和二八年における踏切道の実体調査結果を参酌し、道路交通量、列車回数、見とおし距離との関係から、必要かつ最低限度の一応の保安設備設置標準を算出したものであるが、右によれば、列車運転回数一一四回のものについては、見とおし距離(軌道中心線より外側五米の道路中心線上において一・四米の高さから列車を見とおし得る最大距離)五〇米以上のものは換算交通量(歩行者一、自転車一、五、牛馬、牛馬車、荷車五、軽自動車七、小型大型自動車一二の換算率)約四、七〇〇以上についてのみ保安設備を要求していることが認められる。以上の事実を参酌して本件事故当時の状況を推して考えれば、本件踏切はさきにみた如き意味においては展望不良の踏切であるとはいいえても、換算交通量と列車回数の関係からはこれを交通ひんぱんな踏切と認めることは困難であり、したがつて被告が本件踏切を前記地方鉄道建設規定第二一条に該当しないと判断し、保安設備を設置しなかつたことをもつて義務の懈怠とし、被告に過失の責を問うことはできない。といわなければならない。

(二)  次に原告は、仮りに本件踏切が右規定に該当しないとしても本件踏切では事故が頻発している等の特別な事情があるのみならず、本件踏切の東方約三〇〇米の地点にある原告の大雄山線井細田踏切と対比するとき、本件踏切に保安設備をもうけることは、被告の条理上ないし慣習上要求せられることは、被告の条理上ないし慣習上要求せられる注意義務であると主張する。なるほど、(証拠)によれば、昭和二九年四月二四日高校生森田高正(当一八年)がモーターバイクで本件踏切を東から西へ横断しようとして下り電車にはねられ即死した事故が起きた事実は認められるけれども、その他に事故頻発というべきほどの事実を認めるに足る証拠はなく、又(証拠)を合わせると、本件踏切の東方約三〇〇米の地点にある原告の大雄山線井細田踏切には踏切番を置き遮断機の施設を施しているが、右踏切は駅舎に附属したいわゆる構内踏切であつて、軌道の東側に井細田の市街地があり、駅の乗降車口は軌道の西側にあつて乗降客の大部分は踏切を利用するため、昭和二五年度においても、前記設置標準の換算率で換算交通量は五九九四、五である事実が認められ、本件踏切とは全く交通量を異にするものであつて、右踏切との対比において、本件踏切にも保安設備をすることが慣習上要求せられるものとはとうてい認め難い。よつて原告の右主張もまた採用できない。

(三) 原告は、本件踏切にはいわゆる第四種踏切に必要な設備すら施されていなかつたから、この点においても過失があると主張する。しかし前掲(中略)によれば、第四種踏切とは保安設備すなわち踏切遮断設備又は踏切警報機の設置を要しない踏切を意味し、軌道業者に対しその他に特設の設備の設置を義務づけるものではないとの事実が認められる。もつとも、前記地方鉄道建設規程第二一条は、「交通頻繁ナル踏切道ニハ通行人ノ注意ヲヒクベキ警標ヲ設クルコトヲ要ス」と規定しているけれども、前記のとおり本件踏切は、右規定にいう交通頻繁な踏切とは断定しがたいのみならず、右踏切の東西両側に各一本づつ、「止れ、見よ、聞け」の警標及び斜十字型踏切標示板が立てられていたことは当事者間に争いがないから(前掲(中略)五号の写真によれば、「止れ、見よ、聞け」の警標のうち踏切東側に立てられていたものは久野街道に対し若干南むきに立てられてはいるが、それが踏切警標であることは、通行人から十分認知することができるものであることが窺われる。)この点においても被告に義務の懈怠、すなわち過失があるとはとうてい認め難く、原告の右主張も理由がない。

四、被告の踏切軌道の設置保存のかしによる責任

次に原告は、本件踏切に保安設備の設置されていないことが被告の過失にあたらないとしても、右は被告が占有所有する土地の工作物である電車軌道踏切の設置又は保存にかしがあつた場合にあたるから、被告は民法第一七条による責任を負担すべきであると主張する。そこで本件踏切における保安設備の欠如が土地の工作物の設置又は保存にかしある場合に該当するかどうかにつき判断するに、本件軌道が被告の占有所有に係ることは前記のとおり当事者間に争いなく、軌道施設が土地の工作物であることは明らかであるところ、専用軌道と道路との交叉するところに設けられる踏切道は、現にいわゆる保安設備をもつと否とにかかわらず、本年列車運行の確保と道路交通の安全を調整するために存するものでそれ自体土地の工作物たるものと解すべきである。

そして高速度交通機関のように、事業の性質上必然的に公衆の生命身体に対し危害を生ぜしめる危険を伴う事業を経営するための施設を占有所有する者は、当該設備を設置することによつて、企業体の経営を危殆ならしめる等の特段の事情の認められない限り、当然事故防止のための措置を講じなければならぬと解すべきであり、踏切道においても保安設備を設置しないことが、たとえ軌道業者の過失にあたらない場合であつても、右踏切の交通量見とおし、列車回数、列車速度、踏切の長さ、幅員、勾配等諸般の状況からみて、保安設備がない限り列車の運行の確保と道路交通の安全とを調整するという本来の目的に支障を来たし、踏切道の機能を充足し難いような場合においてはかかる踏切道は全体としてその設置保存にかしありといわなければならない。前記踏切保安設置標準は保安設備の種類とその必要性の程度について一定の標準を示しているが、これはあくまで踏切の道路交通量、列車回数、見とおし距離から算定した必要最低限度の一応の標準にとどまるものにすぎず、これによつて具体的な踏切が常に安全であることを保証し得るものでないのみでなく、踏切事故の誘因としては他にも多くの要素があるのであるから、軌道業者が右標準によることはもとよりであるが、右標準に従つたということ自体は当該業者に過失の非難を帰せしめがたいというに止まり、必ずしもこれのみによればそれをもつて踏切本来のあり方として足りるというものではなく、各踏切の具体的状況に応じ事故の発生を防止するにはどれだけの保安設備がなければならないかを客観的に判断して、もつて右かしの有無を決しなければならない。そこで本件踏切の状況についてみると、

(二) 前記のとおり、本件踏切の北側小田急小田原線下り線軌道の東側に平行し、富士フィルム製造株式会社の常磐望が防風林を形成し、その後方には竹垣や社宅があるため、下り電車の運転士は東側の視界を遮ぎられ、東から西へわたり通行人については、右通行人が本件踏切の東側約五米まで接近しなければ発見することが困難であるから、踏切手前でいつたん停止して電車の進行の有無を十分に確かめるだけの慎重さを欠く通行人やかかる注意力を期待しえない幼児、老人、不具者等が踏切を横切るような場合には、特に事故発生の危険率が高いと考えられるし、又前記認定のように夜間においては電車運転士が電車前方の事物や人影及びその動きを認知することにはかなりの困難を伴うことと他方前記認定のような本件踏切附近を電車が通過する場合の通常の時速及びその場合の制動距離をあわせ考えると、夜間においては踏切に接近する自動車等をその前照灯の照射によつてある程度予知できたとしてもなおかつ同様事故発生の危険率が高いと考えられること。

(二) 本件踏切を東から西へわたる通行人は、踏切中心から約五米手前まで接近しないと下り電車の進行をみきわめられず、前掲(中略)とによれば、右踏切には照明の設備もなく、夜間特に雨天の際はそこに踏切のあることすら見とおしがつかず危険であることがうかがわれること、

(三) 前掲(中略)によれば、本件踏切附近の樹木社宅等のため音の伝播は阻害され易く、前記のとおり、石踏切を横断しようとする自動車の運転手は、自動車の窓を開放している場合でない限り、電車の警笛を聴取し難い状態にあること、

(五) 前記のとおり本件踏切の換算交通量は当時一日約二、〇〇〇と推定され、特に交通頻繁ではないにしても、かなりの交通量を数えうること、

等の諸事実が認められるのであるから、本件踏切を東から西へ横断する車馬、通行人は、下り電車の進行に特に十分の注意を払わない限り、たえず衝突の可能性にさらされ、事故発生の危険性にはかなり大きいものがあるといわなければならない。現に(証拠)によれば、本件事故後小田原市交通協会、小田原市会、その他地元民は右踏切に不安を感じ再三にわたり保安設備の設置を被告に対し陳情していたが、昭和二十九年四月二四日前記のとおり高校生が本件踏切を横断しようとして下り電車にはねられ即死した事故が発生したため、ついに被告は同年一二月二六日自動警報機を設置するのやむなきに至つた事実が認められるのである。

以上の事実を総合すれば、本件踏切には少くとも警報機の設置があつてはじめて列車運行の確保と道路交通の安全との調整という踏切道の機能をみたすものとみるのが至当であり、他面本件踏切にこの程度の保安設備を設けることを要求しても、社会通念上被告会社に対して特に過大な負担を課するものとも考えられないから、被告会社としてはこれを欠いた点においてその占有所有する土地の工作物たる本件踏切の設置にはかしがあつたものと断ぜざるをえない。しかして本件事故の当時もし右のような自動警報機の設備があつたならば、江島が下り電車の通過に気づかず踏切を横断しようとして本件バスが電車に接触し、多大な犠牲者を出すようなことはなかつたものと考えられるから本件事故は、原告の被用者たるバス運転手江島が原告の事業の執行につきなした過失並びに本件踏切設置保存のかしの競合によつて発生したものというべく、したがつて原告及び被告は共同不法行為者として連帯して被害者に対しその損害を賠償すべき義務があるものといわなければならない。

五、被告の主張について

被告は本件事故はもつぱら原告側の過失に起因すると主張するけれども、そのしからざることはすでに認定判示したとおりであるが、必要の限度でなお検討する。

(一) 被告は江島は踏切横断に際し、一時停止を怠りもつて電車通過の有無を慎重に確認しなかつた点において、その過失は重大な過失であると主張する。江島が本件踏切直前でバスを一時停車して電車通過の有無を確認し、あるいは車掌を下車せしめてバスを誘導させる等事故を未然に防止すべき措置をいずれも怠つたことは前記のとおりであり、さらに前掲証拠によれば、踏切に向つて進行して来る電車の前照灯と足柄駅構内及び同駅倉庫の電灯の識別は、さして困難でないことが認められるから、もし江島が踏切直前で一時停止する等して北方を注視したならば、下り電車の進行をたやすく現認できる状況にあつたと考えられ、同人の右注意義務の懈怠こそまさに本件事故の最大の原因であり、同人の過失は重大な過失であるというべきであるしかしこの点は後記のように共同不法行為者相互間における負担部分算定の場合に考慮すべき事項であるにとどまり、被告自身に工作物設置保存のかしがあり、それが本件事故発生の一因をなしている以上被告右江島の過失の重大性の故をもつて被告がその責をまぬがれるわけのものでないことは当然である。

(二) 次に被告は、原告は無免許道路をバスの進行に供した点において原告の営業上の過失があると主張する。しかし道路運送法は道路運送事業の適正な運営及び公正な競争を確保するとともに道路運送に関する秩序を確立することにより道路運送の総合的な発達をはかることを目的とし、道路運送事業をいわゆる特許事業とし、これに対して種々の監督、規制を加えたものにすぎず、その路線の免許も主として公衆の利便、交通需用の量及び性質、当該事業の経営目的との関連等の見地から決定せられるものであつて、一般交通上の安全の保護を直接の目的とするものではなく、そのためには別個の法令が用意されているのであるから、仮りに原告が、右に違反して免許がない道路にバスを運行させた違法があつたとしても、道路運送法違反の責をとわれるのは格別、右適法行為と本件事故との間に相当因果関係を認め、これにつき原告に不法行為による責任を課する理由とするに足りないというべきである。よつて被告の右主張は理由がない。

六、損害額

(一)  (証拠)及び弁論の全趣旨を合わせると、原告は別紙事故関係費用一覧表(以下別表という)(1)記載のとおり、本件事故による被害者らの治療費、入院費、応診料、附添看護料、同食事代、人院中の被害者の食費、寝具代、洗たく代暖房用木炭代、人院もしくは治療に要した交通費、治療のための宿泊、入浴、マッサージ料、医療器具、医薬品代、被害者家族の病院との連絡交通費、入院患者慰問用花束、菓子代等として、三、九九七、一八一円二四銭を支出したこと、そのうち入院患者慰問花束、菓子代見舞品、洗濯代等は合計五、一四〇円(昭和二五年一二月三一日支出の見舞用花束代一、九〇〇円昭和二六年一月一〇日支出の担架洗濯代八〇円同年二月二八日支出の患者の見舞品菓子代九〇〇円、同年五月一〇日支出の見舞用みかん代一二〇円、同菓子代二〇〇円、同年六月三〇日支出の造花一対一、二〇〇円、昭和二七年九月一八日支出の見舞品四四〇円、同月三〇日支出の同三〇〇円以上合計五、一四〇円)であること、別表(2)記載のとおり、原告は事故の際の物品破損等による弁償金その他雑費として合計七四、二六〇円を支出したこと、そのうち火鉢破損弁償金七三〇円(昭和二六年一月二〇日支出)は、事故当日借用した火鉢を破損したものであること及び昭和二八年一一月三〇日諸雑費として一万円を支出していることが認められる。しかして右入院患者慰問費五、一四〇円は、被害者の被つた損害とはいえず、又右火鉢の破損は、本件事故と相当因果関係があるとは認められず、諸残費一万円というのもそれ以上内容が不明であるから、被害者はこれを原、被告に対し請求できない筋合であるが、その他はいずれも本件事故につき被害者らのこうむつたこれと相当因果関係のある物質的損害とみるのが相当である。したがつて、被害者らの被つた物質的損害額は、別表(1)(2)の合計額から右五、一四〇円と七三〇円及び一万円を差引いた金、四〇五五、五七一円二四銭となるわけである。

(二)  前掲(中略)を合わせると、原告は被害者のうち死者七名の遺族及び負傷者のうち三七名に対し、示談金名義で別表(2)記載のとおり合計金四、八五〇、二四〇円を支払つたこと、右金員の支払に際し、原告は社内に事故対策委員会を設け、原告や国鉄等が交通事故に際し支払つた示談金額を調査参照し、種々交渉の結果、、被害者の過大な要求をおさえ、一方本件各被害者の被害の程度等々の具体的事情を考慮し、約三年を費して被害者全員との間に示談解決をみたこと、右金員は今後原告に対し民事上一切の請求をしないことを条件とする示談金の趣旨をも含め、被害者の精神的損害に対する賠償すなわち慰藉料として支払われたことが認められる。そして右金員が一般の標準からかけはなれた高額なものである等の特段の事情は認められないから、右金員は被害者等の慰藉料額として相当というべきできであり、右金員をもつて被害者の慰薯料額と認める。

はたしてしからば、被害者らの受けた損害は合計金八、九〇五、八一一円二四銭となるから、原、被告は連帯して右金員を被害者に対し賠償しなければならないところ、原告が既にその全額を被害者らに支払つたことは前認定のとおりである。

七、原告の被告に対する求償債権額

ところで数人が共同不法行為によつて他人に損害を加え、これがためにその者に対して右損害の賠償につき連帯債務を負担する場合において各行為者の間に責任の軽重を認めうる場合には、その連帯債務者相互間の損害負担の割合も、右の責任の軽重によつてこれを定めるのが相当である。本件において、原告の運転手江島には重大な過失が存し、一方被告側に過失はなく、被告は民法第七一七条による危険責任のみを負うにすぎないものであることは前記認定のとおりであり、その他前認定の本件事故の情況の一切を考慮するとき、当裁判所は、原被告おのおのの負担すべき割合は、原告四、被告一の程度が相当であると考える。

したがつて、原告は被告に対し前記損害賠償額のうち五分の一に相当する金一七八万一、一六二円(円未満切捨)の求償権を取得したものというべきところ、原告が被告に対し、昭和二八一一二月一五日到達の内害証明郵便で、求償債権の支払方を催告したことは当事者間に争いがないから、被告は原告に対し右金一七八万一、一六二円及び被告に対する右催告の翌日である同月一六日から支払ずみまで年五分の遅延損害金を支払うべき義務があるが、その余の義務のないことは明らかである。

よつて原害の本訴請求は、右の限度において理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九二条を、仮執行の宣言及びその免脱につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第二部

裁判長裁判官 浅 沼  武

裁判官 中 村 治 朗

裁判官 時 岡  泰

(事故関係費用一覧表省略)

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